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はじめに
精神医療は公的機関であるから安心と思っていませんか?
勉強がよくできる医師だから人間性が高く、言う事は的確で信頼していいと思っていませんか?
広く認知されている、有名だからといって信じていませんか?
そう思っている方は、過去の精神医療の歴史を眺めていくと、必ずしもそうとはいえないことがわかってくるでしょう。
学問としての精神医学の起原は、19 世紀後半頃といわれています。
うつ病などの精神障害は古くから認知されており、時代によって見方や捉え方は時代によって異なっており、その処遇も大きな変遷を経てきたという事実があります。
古代の精神医療
世界的にみて、精神障害を取り扱った最も古い記述の発見は、紀元前1500年のエジプトのエーベルス・パピルスと言われています。
エーベルス・パピルスの Book of Heartsと呼ばれる章には、うつ病や認知症のような精神障害についての記述が詳細に書かれており、エジプト人が精神を肉体は同じような疾患と捉えていたようです。
古代において比較的民主的な古代ギリシャでは、医学者ヒポクラテスが、早くから「精神病は身体疾患、すなわち脳の病気である」と、従来から信じられていた悪霊説を否定しました。てんかんは古くは神聖病と言われ彼は,神業によって生ずるのではなく,原因のよく解らない自然的なものであると考え,呪術師が神聖化して扱っているのを強く非難しました。このヒポクラテスの影響で、ローマ時代にははやくから現代の作業療法のような取り入れも試みられています。
また、日本においても、最も古い記録が奈良時代の「大宝律令」にあり、当時精神病者は 人道的に保護されていたようです。 古代では、精神病に対して偏見は強くなく 極端な差別や偏見はなかったものとみられます。
ローマ帝国滅亡後から、ルネッサンスに至るまでの中世においてヨーロッパ社会は一転。
社会的文化的に「暗黒時代」と呼ばれたこの時代には,精神障害を流行病や悪魔のしわざと考えられるようになり.悪魔を発見するための診断法や診断用器具が開発されました。この方法で「魔女狩り」が行われ,発見された魔女や魔法使いの多くが,精神障害者だったといわれています。「魔女狩り」は 15 世紀ごろがピークで,少なくとも 15 万人の精神障害者が魔女裁判にかけられ,虐殺されたといわれています。
16~17世紀は精神病研究が始まりヨーロッパに精神病院が設けられるようになりますが、その扱いはまだ非人道的なものだったようです。その後、 啓蒙思想の影響で,精神病に対する今までの考え方が取り除かれ,精神病者を人道的に処遇しようとする実践家が現れるようになります。
日本でも精神障害者は,「狐つき」「犬神つき」などの迷信的な見方をされるようになりますが、ヨーロッパ諸国のような差別や迫害は受けることはなかったようです。治療は宗教的な加持祈祷,灌水が中心で,お灸や漢方薬が用いられ、主に寺院が治療の場となっていました。
19世紀になると、公の収容施設「 癲狂院 」がつくられ、そこで精神障がい者が放置されていました。
催眠療法の登場
精神医学の幕開けよりも少し前、精神治療には「催眠療法」が用いられていました。しかし、精神病治療への有効性も低く「催眠療法」はやがて精神医療では取り扱われなくなり、スピリチュアリズムに取り入れられて「前世療法」などに形を変えていくことになります。
西洋では精神治療として催眠療法が初期から利用されていました。その催眠療法の原点となったのが18世紀後半のフランツ・アントン・メスメル(1734~1815)により提唱された「動物磁気説」が始まりと言われています。
この理論は、宇宙には目にみえないガスの一種である動物磁気というものがすみずみまで浸透しており、人体はこの作用下の元、病はこの動物磁気の減少によって生じるという考え方です。
そのため、「病人には動物磁気を多く保有している人が分けてあげると治療できる」というもので、この理論は「メスメリズム」と称されるようになりました。
その治療法は患者の体を手で押し付けたり、何時間も置いたりするもので、それによって患者が奇妙な感覚を覚えたり、痙攣を起こしたところで治癒されたとするものです。
1784年、ルイ16世のフランス政府は科学者ラボアジェをはじめとするフランス科学アカデミー委員により、この真相調査にあたらせますが、委員会は「動物磁気説」を否定し、患者の想像や思い込みによる心因的要因によるものという結論を下します。この後、メスメルは亡命し、行動は知られなくなります。
しかし、弟子のピュイセギュール(1751~1825)が治療中に起こった患者の奇妙な痙攣に注目し、これを「磁気睡眠」と名付けます。治療中に、患者はこの時期睡眠中に記憶が飛び、暗示に従順である現代風でいう「変性意識(トランス)状態」を発見します。メスリルが催眠の起源であるといわれるのも、ピュイセギュールが発見したからこそと言えます。この「メスメリズム」が後に催眠療法、東洋では気功、レイキへと繋がりがでてきます。
イギリス医師ジェームス・ブレイド(1795~1860)はメスメリズムを研究し、催眠誘導技法の一つ凝視法を編み出し、「催眠術」と名付けます。ブレイドは、催眠家がいなくても催眠は可能であることを発見します。視線を一点に固定して見つめると、目が疲れてまぶたが重くなり自然に催眠にはいることを。また、「あなたは眠くなる」という言葉を被験者にかけるとこのプロセスが短縮されることも発見しました。
その後、催眠のトランス状態を利用したメスメリズムは、イギリスの医師達の間で麻酔手術の代わりに行われるようになります。当時の手術は麻酔なしで行われていたため、トランス状態にして無痛手術を行うことは画期的なものでしたが、当時の医学会では無視されました。トランス状態では感覚さえもコントロールされるため、手術には一種の有効な手段でしたが、誰もがトランス状態にかかるわけでなく、誘導時間にも時間がかかるため、確実、即効性のある薬物麻酔の登場により広がることはありませんでした。
1880年代フランスのナンシーの内科医リエポール(1823~1904)と神経学者のベルネーム(1840~1919)は協力して、多くの患者に催眠療法を行い研究を深め、ベルネームは「暗示について」を文章化して発表します。その中で「催眠の基礎は暗示である」と語っています。1884年と1886年には『暗示とその治療への適用』を二度出版してシャルコー(1825-1893)らの「サルペトリエール学派」との催眠理論対決に勝利します。これを機に二人の名声はヨーロッパ全土に広がり、2人を中心とした催眠研究グループが結成され「ナンシー学派」と呼ばれるようになります。
近代精神医療の始まり ~なんとその原点は「優先学」だった~
精神医療関係について調べていくと、「障害」「人格(パーソナル)障害」「発達障害」とやたらとバカにしたような差別的な用語がいっぱいでてきて違和感を感じたことがないでしょうか。実は現代の精神医学や心理学の原点は「優生学」からきていたのです。
19 世紀は「精神医学の黎明期」ともいわれ、精神病を科学的に解明しようとする動きが,イギリス,フランス,ドイツなどで活発になります。
19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて精神医学史上で重要な存在となったのは,エミール・クレペリン(1856 〜 1926)とジークムント・フロイト (1856 〜 1939)です。
ドイツの精神科医 クレペリンは,疾患の経過,転帰,治療上の経験などを参考にして,早発性痴呆 (後の統合失調症)と躁うつ病の概念を明らかにしました。
精神医学でも著名なクレペリンはどんな人物なのでしょうか。実は、精神的に混乱した人々を「国家に対する重荷」とみなすとともに、精神科医を「絶対的な支配者」と定義した思想をもっていました。
エミール・クレペリン
彼は病気は遺伝し、狂気は断種を行うことで伝染を食い止めることができるとし、その理論は後に「優生学」に結びつき、ナチスのホロコーストなど虐殺キャンペーンの基礎を築いていくことになります。さらに、彼の考え方や方法論は記述精神医学とよばれ,現在精神疾患の診断に用いられている『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)に影響を与えることになります。
日本でも、1900 年にドイツに留学していた東京大学教授 呉 秀三(1866 〜 1932)がクレペリン学派の新しい精神病学の普及を通じて、ドイツ精神医学に統一されていくことになります。日本における最初の精神衛生団体である精神病者慈善救治会を組織(1902年)、三浦謹之助と共に日本神経学会を創立し日本の近代精神医学者のほとんどが、呉の影響を受けた人々でした。
精神分析を創始者としても有名なジークムント・フロイト(1856~1939)も当初はフランスに渡り、シャルコーやナンシー学派のリエポールから催眠療法を学んでいました。しかし、催眠療法では十分な効果をあげることができず、フロイト自身は催眠療法から遠のいていきます。
ジークムント・フロイト
1884年から2年間、フロイトはコカイン研究に情熱を傾けており、その結果、目・鼻などの粘膜に対する局所麻酔剤としての使用を着想し、友人の眼科医らとともに眼科領域でコカインを使用した手術に成功します。その後、コカインを「精神だけでなくあらゆる病気に効果があり、中毒性がない万能薬」として多数の論文を発表。これが原因でヨーロッパ全土にコカインの常習性と中毒性が報告され、危険物質との認識を広めることになります。また、このときフロイトは製薬会社メルク社とパーク・デヴィス社から資金援助を受けていたなど、そのため、医学界からは不審の目で見られる結果を招きました。
現代でも製薬会社と精神科医との間には金銭的癒着関係があることでも知られていますが、この頃からすでにこういった連携システムはできあがっていたようです。
後にフロイトは、十四歳年上の神経科医ヨゼフ・ブロイアー(1842~1925)と親しくなり、彼からヒステリー症のアンナ・O(1859~1936)治療例を聞き興味を持つことになります。1895年にはブロイアーとともに臨床心理学界で一番有名な症例といえる『アンナ・Oの事例』を載せた「ヒステリー研究」という本を出版します。アンナ・O自らが(心の)煙突掃除などと名づけて自然に行いはじめたやり方を、「カタルシス法(浄化法)」と名づけて概念化し、これは現在に至るまで心理学者が症状の原因として生育歴に注目していく考え方の原点となります。
フロイトは「ヒステリー研究」をだした翌年の1896年から「精神分析」という言葉を用い始め、受け容れたくない不快な欲求(性欲)・記憶が『無意識の領域』に抑圧されることで神経症が発症するという仮説を唱えるようになります。その後、フロイトは「無意識」を想定し、自由連想法を用いながら人間心理や神経症を概念化した精神分析療法を発展させていきます。また、躁鬱病、精神分裂症、てんかんといった「精神病」と、うつ病、強迫性障害、パニック障害などの「神経症」を厳密に区別したのもフロイトでした。フロイトの精神分析は,アメリカでアドルフ マイヤー Meyer A(1866 〜 1950)の精神生物学と結びつき,力動精神医学や新フロイト派(サリヴァン Sullivan HS,ホルナイHorney K,フロム Fromm E ら)によって大きな影響を与え地域精神医療への原動力となっていきます。
精神医療の手法
この時代には,マラリヤ療法(1887),インスリンショック療法(1933),カルジアゾールけいれん療法(1935),電気ショック療法(1938)などの身体的治療法が開発されます。主には熱や電気衝撃でけいれんを起こすと治療できるといったものでしたが、治療のメカニズムはよくわかっておらず、そのほとんどは死亡率が高く危険なため現在行われていません。現在は電気ショック療法(ECT)が見直され復活しています。また、ノーベル賞受賞されたものもいくつか存在しており、世間的に認められたものといっても信頼性が高く安全なものと信じ込むことは危険であることを学ぶことができます。
マラリヤ療法
19世紀後半,腸チフスにかかって発熱した精神病者の精神症状が消失したとの報告から,三日熱マラリアやチフスワクチンの接種によって人為的に人体に熱を出させることによって病気を治療する方法。ワーグナー・ヤウレックが 1917年に創始し、これによって1927年度のノーベル生理・医学賞を受賞。現在は危険性が高いので使用されてませんが、なぜ発熱療法が上手くいったのか、きちんと解明できていません。
インスリンショック療法
1933年には、ポーランドの精神医学者マンフレート・ザーケルにより、インスリンを大量投与することにより低血糖ショックを人為的に起こさせて精神病患者を治療するというインスリンショック療法。ザーケルは、その数年前にモルヒネ中毒の治療にインスリンを用い重い低血糖反応に遭遇し、その後に精神症状が軽快したことに着目して考案したという。 死亡率が非常に高く、当然ながら何の解決ももたらさない試みですが、1900年代前半までは頻繁に行なわれ、わが国でも昭和三〇年代まで広く行われていました。その後電気けいれん療法、薬物療法(クロルプロマジンに代表される抗精神病薬)などが登場したため1950年代には廃れていきます。
カルジアゾールけいれん療法
1937年,ハンガリーの精神科医 メズーナL.I.von Meduna がカルジアゾールを静脈内に注入して,人工的にけいれん発作を起こすことで統合失調症患者の治療に成功した(カルジアゾールけいれん療法)。
電気ショック療法 ( ECT )
これまでのけいれんによって精神病の治療が信じられていた時代、電気ショックでけいれんを起こす方法を考えたのが、 ローマ大学の精神病学部長のウーゴ・チェルレッティでした。彼は最初に犬の口と肛門に電極をつけて電気ショックを与える実験を始めましたが、その犬の半数は死んでしまいます。その後、 食肉処理業者が豚を電気ショックを与え失神させているのを観察し、そこからヒントを得てその方法を人間に適用しました。彼が最初に人間に行なった実験は同意なしに行なわれました。 ECT を広めたのは、 チェルレッティの生徒であったドイツの精神科医ロタール・ガリノフスキーで、彼は独自のECT機器を開発し、1938年にはフランスやオランダ、イギリスにその機器を紹介し、後には米国にも紹介しました。
ECTの効果について彼はこう述べています。
「記憶や批判、理解といったあらゆる知的能力が低下する」
日本ではその危険性から一時中断されていましたが、投薬治療で聞かない治療者に対して有効であるとして見直され、この改良した修正電気ショック療法(mECT)が復活しています。
薬物中毒になって暴れる人、自殺を繰り返す人を脳神経細胞を破壊して、大人しくさせているだけで治療にもなってないようですな~。
mECT の後遺症
ロボトミー手術
ポルトガルの神経科医アントニオ・エガス・モニスは,脳内白質を切断する専用の器具を開発し,前頭前野と視床をつなぐ神経線維の束を物理的に切り離す手術を 精神病患者 に行い、興奮状態,幻想,自己破壊行動,暴力などの症状を抑えることができると発表します。当時は治療法がほかにほとんどなかったことから精神病治療に広く行なわれるようになりました。1936年アメリカ合衆国の神経科医ウォルター・フリーマンとジェームズ・ワッツが改良を加え命名されたのが悪名を残すことになる「ロボトミー手術」です。 ロボトミー手術 は、 患者の眼窩骨の下から前頭葉にアイスピックを刺し込み、その器具をこじくりまわして脳を破壊するといったものでした。 1940年代には短時間で行なえる術式を開発し,多くの患者に実施。ロボトミーを受けた患者の大部分は,緊張,興奮などの症状が軽減したものの,無気力,受動的,意欲の欠如,集中力低下,全般的な感情反応の低下などの副作用も発生していましたが、 1940年代には広く報じられないまま行われてきました。
(現在のベンゾジアゼピン被害と同じようなものです)
ロボトミーが幅広い成功を収めたとして,モニスは 1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞します。 モニス は手術を行った患者に銃撃され、1度目はマヒ状態に、2度目は別の 患者に襲われ、殺害されました 。 フリーマンはロボトミーを精神の安楽死と表現し、そして患者は、「美徳や推進力、想像性を犠牲にしなければならない」と述べています。ロボトミー時代が終了するまでに、アメリカで5万人、世界で約11万人がロボトミー手術を施されたと見積もられています。
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