02.精神治療の怖さが分かる闇歴史(その2 投薬療法の広まり)

精神医療のこと
Health themes. Background of a large group of assorted capsules, pills and blisters. Drug abuse.

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前章のまとめ

精神医療の幕開け。
それは精神障害をカテゴライズしていくことからはじまります。
クレベリンは、それまで混沌としてきた精神障害を「早発性認知症(今の統合失調症)」と「躁うつ病(現在の気分障害)」に2大別化します。ジークムント・フロイトは精神分析を創始し、現在のうつ病、パニック障害、不安障害、強迫性障害などを「神経症」とし神経症性障害の治療に用います。後に精神分析はアメリカで力動精神医学として発展していきます。
20世紀初頭になると、マラリア療法、インスリンショック療法、電気けいれん法、ロボトミーといった精神治療法が開発されたものの、そのほとんどが生命を失う危険性を伴うもので、またそのすべてが今だに精神治療に活かせるかのメカニズムが説明できないものばかりでした。
やがて、 20 世紀の後半になると,向精神薬クロルプロマジンや地域精神医療の登場により,上記の療法はすべて消え、精神医療の新たな展開が始まります。

3大精神病
・早発性認知症(→精神分裂症→統合失調症)
・躁うつ病(→双極性障害)
・てんかん
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー上記と全く別のものと分類
神経症→うつ病、パニック障害、強迫性障害、恐怖症など

薬物療法の登場以前 ~アヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカイン~

今現在危険とされているものも、実は過去は安全なものと認識されていたものだった。。
そして、現在の投薬治療もただ、たんにその繰り返しにすぎない・・。
人間は過去の過ちを学習できない下等な生き物なのかもしれない。

現代の向精神薬の始まりはクロルプロマジンからとも言われることもありますが、それ以前にもアヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカイン、覚せい剤、アルコールといった現代危険とされる薬物のほとんどすべては薬用として利用されてきたものです。

特によく知られているのが、アヘン、モルヒネ、ヘロインです。
これらはすべてケシの実からつくられます。
ケシの実は古代文明にも登場し古代文明メソポタミア時代から栽培されていたもので、古代バビロニアではケシを「歓喜の植物」と呼び、乳液にして飲んだり、乾燥させアヘンとし快楽を高めたり、負傷した時、鎮痛剤として使用されていました。
紀元前1500年頃、エジプトでアヘン製造がされていた事がわかるパピルスの文献が見つかっています。文献によれば、アヘンは当時のエジプトにおいて鎮痛剤などの薬剤として用いられていました。
紀元前300年頃、ギリシャ哲学者テオプラストスはその著書にアヘンについて記述しており、アレキサンダー大王の遠征時には、兵士達はアヘンを食べて勇敢に戦い、致命傷を負っても痛みを感じることなく命を落としていたようです。
ローマ帝国ネロ時代の医師ディオスコリデスは、アヘンの採取法及び薬効を著書の中で詳しく述べており、この時代アヘンは鎮痛剤、睡眠剤として利用されていました。

ケシの実は、亜熱帯地方で栽培が広がり、やがて東洋インドでも栽培されるようになります。
11世紀前後、イスラム圏との接触を経て、アヘンはヨーロッパに再伝来し、20世紀初頭までは民間療法の薬剤として用いられていました。
近代精神医療に最初に使用されたのがモルヒネです。
モルヒネ」は1804年ドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーによってケシの実からの分離に成功した薬で、セルチュルナーは「夢のように痛みを取り除いてくれる」ということからギリシャ神話の夢の神モルベウスにちなんで「モルフィウム」と名付けます。翌年には鎮痛催眠薬として精神医学に取り入れられます。
また、当時流行っていたアヘンやアルコールの中毒の治療や麻酔としても使用され、アメリカ南北戦争では負傷兵の治療にモルヒネが使用された結果、多くのモルヒネ依存症者を生み出し危険薬物として扱われるようになります。
さらに、これらの依存症を克服する目的で1874年からモルヒネを原料に研究を開始し、ベルリン大学病院とバイエルが1889年にギリシア語のヘロスにちなんで「ヘロイン」と商品名化して発売します。
ドイツの科学者は、「モルヒネなどに代わる依存作用のない薬である。どのような病気にも効く、副作用のない奇跡の薬」として国際的に広告し無制限に市場に流れていくことになりました。ヘロインは現在は、快感3点、精神的依存3点、身体依存3点と依存性の最も高い危険な薬物に指定されています。
アヘン、モルヒネ依存者を減らす目的が、たんにヘロイン依存者にシフトしただけで薬物依存症者自体の改善にはいたらず、むしろ状況は悪化させるのみでした。
やがて1920年頃には医薬品として取り消されるようになり、麻薬として規制されていくようになります。

また、「コカイン」のもととなるコカの葉も、紀元前3000年ごろの古代インカ帝国では、アンデス山脈の薄い空気に対応するために心拍数を上げ、呼吸を速める目的でコカの葉を噛んでおり、その向精神作用については古くから知られていたようです。
1859年、ドイツの化学者アルベルト・ニーマンがコカの葉から初めてコカインを抽出に成功、その効果が医療関係者に知られるようになったのは1880年代に入ってからのことでした。

コカの葉

精神分析の父ジークムント・フロイト自らもコカインを使い、ガールフレンド、知人、患者にも勧めます。フロイトは「(コカインは)非常に多量に摂取しなければ人体に毒性はなく、致死量というものもないようである」と信じており、彼が処方したコカインの多量摂取がもとで患者が亡くなりました。
さらに、慢性的な疼痛を抑えるためにモルヒネを服用し中毒となっていた親友の心理学者エルネスト・フライシルに、モルヒネ使用を止めさせるためコカインを与えたところ、彼は逆にコカイン中毒になってしまいます。
さらには、コカインを「 精神の病だけでなく、あらゆる病気に効き、しかも中毒性がない万能薬 」と呼び、1884年、その効用を絶賛する「コカインに関して」という論文を発表します。しかし、ヨーロッパ中にコカイン中毒者の蔓延を招き、危険で中毒性の高い薬物という認識がもたれるとともに、フロイト自身の評価も落とす結果になります。

1886年 この薬物の評判を聞いたアメリカ人ジョン・ペンバートは、コカの葉を原料とした清涼飲料「コカ・コーラ」を開発します。
1903年当時、コカコーラはモルヒネ中毒にも効用があると信じられ治療薬として始まった飲み物でしたが、結果的にコカイン中毒を招く結果となってしまいました。その中毒性が確認されてからはカフェインが用いられるようになり、コカインは麻薬としても世界で規制対象になっていきます。

コカ入りコーラ

覚せい剤の登場 ~アンフェタミン、メタンフェタミン~

覚せい剤も、戦前は向精神薬として利用されてきました。
覚せい剤はアンフェタミン、メタンフェタミンという化学物質を指します。
その原点は、1885年に日本の 薬学者長井長義 長井長義がマオウから単離抽出したエフェドリンという物質の開発がきっかけでした。このエフェドリンからアンフェタミン、メタンフェタミンがつくられていくことになります。
アンフェタミン は 1887年にルーマニアの化学者ラザル・エデレアーヌ によって、 メタンフェタミンは1888年に日本の薬学者長井長義によって開発されたものです。

アンフェタミンは、1935年に欧米で商品名「ベンゼドリン」として販売され、1937年にはアメリカで「副作用のない素晴らしい薬」と評して驚異の薬 (wonder drug)と呼ばれました。日本でも、第2次世界大戦中に武田薬品工業が商品名「ゼドリン」として、富山化学工業が「アゴチン」として販売していました。

一方、メタンフェタミンは1938年にナチスドイツで興奮剤として発売され、ナチスは「戦車用チョコレート」、「パイロットの塩」として兵士に支給していました。しかし、あまりにも覚醒作用が強い為に1941年には危険薬指定を受けて一般人での使用は制限されるにいたりました。

しかし、日本ではドイツで規制された年に大日本製薬(現:大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤「ヒロポン」 、先に述べたアンフェタミン製剤「ゼドリン」「アゴチン」が発売されます。ここで、よく売れたのが、圧倒的に強い覚醒作用を持つメタンフェタミン系の「ヒロポン」で、「飲めば眠らなくても仕事が出来る、勉強も出来る、何でも出来る万能薬」として一般にも広がり使われるようになったのです。戦時中、工場作業員には覚せい剤が配布され、10時間以上の強制労働を強いられることになります。戦闘兵には疲労回復、士気向上、視力向上目的などで、パイロットに重点的に配布され、ドイツと同じように「ヒロポン入りチョコレート」といったものまで登場します。 特攻隊でも突撃前に使用された記録があります。
戦後、軍隊から「メタンフェタミン製剤」が闇市を通して大量に流出してしまい、 昭和20年代前半には普通に町の薬局で「メタンフェタミン製剤」が販売されていたようです。 受験勉強や徹夜仕事をする人に使われていましたが、その副作用や危険性が明るみになってくると 、1951年覚せい剤取締法が制定され規制の対象となります。以後シャブ、エス 、スピード などの俗称で呼ばれ、その中毒者は「ポン中」「シャブ中と呼ばれていました。

アンフェタミンは日本の覚醒剤取締法ではフェニルアミノプロパンの名で覚醒剤に指定されて使用禁止になっていますが、アメリカ、西洋諸国では今でも使用され、アメリカでは長距離トラックの運転手、建設業関係の労働者、工場作業員などに集中力を高め作業効率あげる場合に使われ「レッドネック・ドラッグ」と呼ばれています。また、学生の間でも「頭の良くなる薬」として利用されています。また、医薬品としてはメチルフェニデート(リタリン、コンサータなど)とともに注意欠陥・多動性障害 (ADHD) 及びナルコレプシー薬用として使用されています。許可されているとはいえ、アメリカ食品医薬品局(FDA)の有害事象報告システム(AERS)のデータから、殺人や暴力など他害行為の報告を調査し、アンフェタミンは4位の通常の9.6倍であったことが報告されています。

覚せい剤類の化学構造と作用機序

エフェドリン、アンフェタミン、メタンフェタミンともにいずれも、化学構造的にはよく似ています。作用機序も神経細胞のセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンといったモノアミン系神経伝達物質の放出促進、トランスポータの再取り込み阻害によって中枢神経に作用します。

基本的に、これらは後述していく精神科で処方される「抗うつ薬(三環系、SSRI,SNRIなど)、抗精神薬」とほとんど作用機序は同じです。

薬物療法の夜明け

1952年、外科医であったアンリ・ラボリが、 クロルプロマジン精神科治療での有用性を示唆し統合失調症薬として数年後ヨーロッパ全土で用いられるようになります。これをきっかけに,現在に至るまで次々と新しい抗精神病薬,抗うつ薬,抗不安薬が開発されていくことになります。クロルプロマジンの発明が、統合失調症における薬物治療の幕開けと、精神科病院の閉鎖病棟を開放し外来治療が精神科治療の主役となる大きな動機づけとなっていきます。これにより、電気ショック療法を除く身体的治療法は姿を消すことになります。

しかし、統合失調症、うつ病などのメカニズムはわかっておらず、統合失調症、うつ病に効果を示す薬物の発見と、それに関連する作用機序解明から、1950年代に「モノアミン仮説」(理論であって根拠の確かなものではないもの)が提唱されます。モノアミンとは、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった精神に関わる神経伝達物質の総称を指します。
いわゆる、
うつ病はノルアドレナリン、セロトニン低下で起こる
統合失調症はドーパミン過剰で起こる
といったものです。 この仮説に基づいて、うつ病にはセロトニン、ノルアドレナリンを高めることをターゲットに、統合失調症にはドーパミンを抑えることをターゲットにした向精神薬が開発されていくことになります。

1980年代に「TCA:三環系抗うつ薬」が抗うつ薬の主役となるなか、セロトニン再取り込み阻害を強化する薬物が開発され、「SSRI:選択的セロトニン再取り込み阻害薬」の登場に繋がります。SSRIは、TCAの重篤な自律神経系の副作用を回避した抗うつ薬として受け入れられ、後に開発される「SNRI:セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬」とともに抗うつ薬の第1選択と位置づけられていきます。

SSRI売込みの「うつ病キャンペーン」の始まり

90年代、万能の「ハッピードラッグ」ともてはやされた抗うつ薬がある。
80年代にアメリカで開発されて急速に普及。日本でも多くの服用者がいた。しかし、この薬には思わぬ副作用があった――。それはSSRI 商品名を『パキシル』『ルボックス』という。

万能薬の「ハッピードラッグ」その思わぬ副作用とあの刺殺事件

アメリカでSSRI販売が大成功したあと、それはカナダやオーストラリア、イギリス、フランス、スウェーデンへと広がっていきます。日本にSSRIの巨大マーケットが誕生するのは時間の問題だった・・。

2000年以前は「うつ病」という言葉も聞きなれない言葉でした。現在のようにうつ病が知られるようになったきっかけは、1998年から始まったSSRI売込みのための「うつ病キャンペーン」が発端でした。
SSRIは日本で認可されてから 、製薬会社は電通と協力しテレビ、新聞、雑誌、インターネットなどを使い、
うつは心の風邪
うつと思ったらすぐ病院に
をキャッチフレーズに、大規模なうつ病キャンペーンを行い、精神科・心療内科への受診を促しました。いったん受診するとたとえ一時的な気分の落ち込みであっても、簡単な問診や「テレビを見てうつと思ってきたのですが」といっただけでうつ病との診断が簡単に下され、SSRIが処方されてしまう事態が生じていました。
その結果、たった1年でうつ病患者は100万人に倍増 。日本だけではなく先進諸国でも、SSRIが売り出されると、うつ病患者が爆発的に増えるという「SSRI現象」が繰り返されてきました。値段で比べると、日本で多く処方されている「パキシル」は、それ以前によく使われていた三環系抗うつ剤 (TCA)の18倍も高いのです。日本でのこのキャンペーンにより、抗うつ薬の売り上げは2000年からの8年で10倍となります。
日本より先にSSRIをの販売を展開していた米国では、SSRIを服用しても、うつ病は改善しないばかりか、かえって症状を悪化させたり、自殺や殺人事件を引き起こすなど重大な副作用が発生することが判明して社会問題にまで発展していました。
日本でも同様に、2004年あたりからパキシルの服用で、攻撃になる、自殺衝動に駆られるといったことが話題になり、実際に自殺者数、リストカット者数が急増します。うつ病で自殺した患者のじつに約7割が精神科で治療中で、その多くは抗うつ剤を服用していたといわれています。その多くは、皮肉にも本来の精神疾患患者ではなく、仕事の問題、家族関係の問題、込み入った恋愛の悩みなど、薬では解決できない問題を抱えていたような人(適応障害レベル)がほとんどで、服薬しても意味のないどころか、症状を悪化させてしまった人が多いようです。(うつ病は悩みじゃありません。ショックによる後遺症です。複雑性PTSD

1998年からうつ患者、SSRI売り上げ急増

1998年から自傷行為、自殺者急増

代表的なSSRIである「パキシル」を販売するグラクソ・スミスクライン社は、自殺に関する訴訟150件で平均200万ドル (2億円)を支払っています。しかしながら、SSRIの副作用が欧米で大きな社会問題になっているという事実は、日本ではあまり知られていませんが、これも SSRI 販売推進を行ってきた電通が関わっているため、情報コントロールされているのでしょう。

そのグラクソ・スミスクラインが金出して作ったってCMがコレ

汚れたタッグ~医師と製薬企業の錬金術を許すな(榎木英介) - エキスパート - Yahoo!ニュース
反省しない医学界 この薬は素晴らしい効果があるのが研究でわかりました!研究した人は薬を作った会社とは関係ありません! ところが、実は製薬企業から研究者たちに資金提供がなされていたとしたら…そんな研究信

抗うつ薬のもつ怖い作用

抗うつ薬の副作用に関しては、処方される前には何も言われません。一般の薬のように、眠気、喉の渇きなどの症状がでる場合がありますが、それ以上に怖い症状「離脱症状」「セロトニン症候群」「 腑活症候群 」といったものがあります。

・一般的な副作用
・離脱症状
・セロトニン症候群
・アクチベーションシンドローム(腑活症候群)

一般的な副作用

抗うつ薬は、主にセロトニンとノルアドレナリン神経に作用する薬です。
しかし、選択的にこの2つの神経系統のみに作用することは上手くいかず、他の神経系統
(アセチルコリン、アドレナリン、ヒスタミンなど)
にも作用するため、これが副作用を引き起してしまいます。

離脱症状(抗うつ薬中断症候群)

薬物を完全に断った場合のみならず、服用を続けながら減量した状態でも症状が現れる不快な症状のことをいいます。抗うつ薬の離脱症状は、DSM-5においては「抗うつ薬中断症候群」の診断名として扱われています。一度薬に慣れてしまうとなかなか辞めやれなくなるやっかいな症状です。離脱症状は薬の種類、個人差、服用期間によって1〜2週間でおさまる場合もありますが、数か月以上続く場合もあり、かなり苦しい症状に陥る場合もあります。

離脱症状

動揺、不安、アカシジア、パニック発作、短気、敵意、攻撃性、気分の悪化、神経不安、泣きまたは情緒不安定、活動過多または活動亢進、離人症、集中力の低下、思考速度の低下、混乱と記憶及び集中の困難

抗うつ薬(特にSSRIのパキシルなどで起きやすい)で発生する離脱症状に
耳が「シャンシャン」
手足が「ビリビリ」
するものがあり、俗称として「シャンビリ」と呼ばれることもあります。
離脱症状は血中濃度が急に下がったことによる身体反応が原因と考えられていますが、はっきりしていません。

シャンビリで起こる症状

耳鳴り、しびれ、めまい、発汗、吐き気、目がチカチカする感覚
音や光に対して過敏になる、震え、ソワソワ感

セロトニン症候群

抗うつ薬類を服用中に、脳内セロトニン濃度が過剰になることによって起きる副作用です。
抗うつ薬以外にも、ハーブの「セント・ジョーンズ・ワート」の過剰摂取で起こると言われています。

セロトニン症候群

・自律神経症状
体温の上昇、異常発汗、緊張、高血圧、心拍数の増加、吐き気、下痢
・神経・筋肉症状
ミオクローヌス、筋強剛、振戦、反射亢進、緊張と緩和の繰り返し
(あご、歯をがちがちさせる、など)
・精神症状
混乱、興奮、錯乱、頭痛、昏睡

アクチベーションシンドローム(腑活症候群)

SSRI,SNRIといった抗うつ薬の副作用の一種で、初期投与や増量時に起こりやすいため、「初期刺激症状」とも言われています。症状としては、境界性人格障害、双極性障害のような状態を示し、リストカット、自殺行為に至るなど危険な症状が現れます。

アクチベーションシンドローム

不安、焦燥、不眠、敵意、衝動性、易刺激性、アカシジア、パニック発作、軽躁、躁状態などを呈し、悪化するとリストカットなどの自傷や、自殺行為、攻撃性が高まる。

抗うつ薬も作用メカニズムはセロトニン、ノルアドレナリントランスポータに作用するもので覚せい剤とほとんど類似しているものです。作用、副作用が覚せい剤よりも弱いという程度であって、長期的な服用によって、じわじわと気づかぬうちに脳内の神経細胞を破壊していっているのです・・。合法であり、医師が処方しているから安心して使用してしまう点がさらに恐ろしいところです。

逃げ口実策の 双極性障害キャンペーン

「鬱は薬で治るんです」といった当初のフレーズも次第に治らない人、薬漬けにされる人が増加するばかり。さらに病院に行くと、年々ぶくぶくと相撲取りのように太った患者を見かけるようになります。
次第に「薬でうつ病は治せない」風潮が強まり、次に製薬会社が打ち出してきた策が、
薬でうつ病がなおらない・・そんなあなたは双極性障害だった
2012年のNHKスペシャルに「抗うつ薬で治らない4割は双極性障害だった」と放送されます。
2012年あたりから、ほとんど聞きなれない稀であった病気も年々急増し今やうつ病並みによく聞く名前になってきました。
2000年前半あたりから、精神分裂症が統合失調症に、躁うつ病が双極性障害に名称が変更され、統合性失調症、双極性障害は先天的なもので、うつ病とは全く別のものといわれてきたものが、投薬治療で治らない場合は「双極性障害」に落としどころとつける策にうってでてきたのです。うつ病自体投薬で治らないので、投薬治療の先に行きつく先はみな双極性障害か統合失調にされていくいいわけシステム化の完成です。適応障害、抑うつ、不安障害腹始まった人達でさえ最終的に双極性障害にされ一生薬漬けけにされて終えてしまう・・。かつては2大精神病と言われ、神経症のうつ病とは明らかに異なるものとされてきたものがです。双極性障害になると、リーマス、デパケン、といった気分安定剤が処方され、処方される薬の量も増えていくので製薬会社にとっては売上げもアップで一石二鳥です。

抗うつ薬もいずれこうなるんじゃないでしょうか。

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