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はじめに
向精神薬の代表的なものが、抗うつ薬、抗精神薬、そして抗不安薬と睡眠薬。
前回は、抗うつ薬についてみてきましたが、今回は最も多く処方されている抗不安薬と睡眠薬の歴史についてまとめていきました。
睡眠薬は、よく病院にいくと眠れないときに処方される向精神薬で、比較的なじみ深いものだと思います。日本ではデパスなど「安全な薬」と言われていますが、アルコールと同じくGABA神経系に作用し、有害性、依存性もそれほど差はなく長期的に服用すると危険性を伴うことはあまり知られていません。
また、「睡眠を改善する薬」といったイメージを持つ方もおられるかと思いますが、改善する薬ではなく、一時的に眠り易くする対症療法薬であることに注意が必要です。
一般的に現在はベンゾジアゼピン系睡眠薬が多く利用されていますが、依存性が強いので、常用すると手放せなくなる薬で被害者(ベンゾジアゼピン被害)も多く出ていることに注意が必要です。
睡眠薬の歴史
1869年 はじめての睡眠薬「抱水クロラール」登場
最初に登場した睡眠薬は1832年にギーセン大学のユストゥス・フォン・リービッヒにより合成され、1869年にベルリン大学のオットー・リープライヒが不眠症を改善する薬としての有効性を認め開発された「抱水クロラール」というものでした。
当時は演劇や小説に登場するほどまでになっていましたが、この薬は味と匂いが酷いこと、治療域と有毒域の間が狭いことなどから20世紀には バルビツール酸系のものにとって代わることになります。
1920年~1950年 バビルツール酸系の登場
バルビツール酸系は、酷い味がなく治療域が有毒域に近くないという点で1920年~1950年の間、唯一の睡眠、鎮静薬として使用されてきました。しかし、パルビツール酸系睡眠薬は耐性、依存性を形成しやすく、呼吸中枢を強く抑制し死亡へ至るケースもあり、自殺企図のための一般的な方法として利用されもした薬でも有名です。有名な人物として、マリリン・モンロー、芥川龍之介も「急性バルビツール酸中毒」での自殺と考えられており、「睡眠薬は恐ろしい薬」としう印象を社会に植えつけることとなりました。
第2次世界大戦後、戦時中にカンフル剤として利用されてきた覚せい剤「ヒロポン」だけでなく、このような睡眠薬も闇市で売られていました。 1948年、「平和の眠り」というキャッチフレーズで、睡眠薬アドルムの宣伝が新聞に掲載され、1949年には小説家の坂口安吾がアドルム中毒で入院、田中英光が太宰治の墓前でアドルムと酒を飲んだ後カミソリで手首を切って自殺し、これらの事件をきっかけにアドルム乱用自殺が流行しました。
1950年代にはいると、バルビツール酸睡眠薬より安全性が高いとうたわれた薬物「バ ラ ミン」「ハ イ ミナ ール」などの非バルビツール酸系睡眠薬が登場。しかし、バラミン中毒が多数発生。ハイミナールは青少年の間で睡眠薬遊びとして利用されていました。
1962年、アメリカ女優マリリン・モンローの自殺事件があり、彼女の血中からバビルツール系睡眠薬と 抱水クロラールが検出し話題となりました。その後、睡眠薬による社会事件は沈静化し、非バビルツール系やシンナーといった薬物が問題であることが注目されるようになります。
1960年~ ベンゾジアゼピン系の登場
1960年代には現在でも多く使用されている「ベンゾジアゼピン系」睡眠薬が登場します。安全域が狭いバルビツール酸系から置き換えられていくことになります。 ベンゾジアゼピン系はもともと「抗不安薬」として開発されたものですが、入眠作用・抗不安作用があることで睡眠薬として用いられるようになりました。
当初、この新薬は医療関係者の間で歓迎されますが、 記憶障害、ふらつき、耐性、他害行為、奇異反応、自殺衝動の副作用が認められるなど徐々に様々な問題が明るみになっていきます。
1969年に、女優のジュディー・ガーランドが、アルコールとベンゾジアゼピンの相加作用で死亡すると、アメリカ上院の調査委員会が発足し、処方が減少。1971年には、これらを含めた薬剤の乱用の危険を防止するための向精神薬に関する条約が公布され、1975年には、短期間に限った処方が認められます。
1980年代になると、イギリスではベンゾジアゼピンの依存の問題が提起され、メディアでたびたび取り上げられるようになり、1984年には、ヘザー・アシュトンが国民保健サービス(NHS)に薬物の離脱のためのクリニックを開設。ロシュ社およびジョン・ワイス社に対し14,000人の患者および1,800の法律事務所による史上最大の集団訴訟が行われました。(しかし損害賠償はされず)
これを記念にアシュトン教授の誕生日 7月11日は「世界ベンゾ注意喚起の日」と設定されています。
国際的には1977年、日本では1982年にアップジョン社からトリアゾラム商品名「ハルシオン」が発売され、健忘を楽しむ「ハルシオン遊び」が世界で乱用され社会問題となります。日本でも、六本木界隈で「アップジョンする」と言われ、ハルシオンが乱用されていました。
1984年日本で販売された、フルニトラゼパム商品名「サイレース」はアルコールとの併用で、比較的高い確率で健忘を引き起こすことがあるため、アメリカ、イギリスなどで「レイプドラッグ」として強姦に利用され、次第に1990年代から諸外国では違法薬剤として扱われ、イギリスでは販売中止に、ドイツでも 承認取り消しになります。日本から米国出張や旅行前に、ハルシオン、サイレースを服薬しているのなら持ち込みは禁止されているため、渡米は取りやめるか主治医の英文診断書が必要になります。
1980年~ 非ベンゾジアゼピン系の登場
1980年ベンゾジアゼピン系も危険性が指摘され、非ベンゾジアゼピン系が登場します。
(Zから始まる物質名が多くZ薬とも呼ばれる。)ベンゾジアゼピンの改良薬として期待され登場しましたが、実際のところベンゾジアゼピン系と危険性は大差がなく、別の手段が見直されるようになります。現在ではベンゾジアゼピン70%に対し30%の比率で使用されているようです。
・超短時間作用型
ハルシオン、アモバン、マイスリー、ルネスタ
・短時間作用型
デパス、レンドルミン、エバミール
・短-中時間作用型
リスミー
・中時間作用型
サイレース、ベンザリン、エミリン、ユーロジン、イソミタール
・長時間作用型
ダルメート、ソメリン、ドラール
2000年~ うつ病キャンペーンとともに睡眠薬、抗不安薬売り上げ急増
日本では1998年から始まった「うつ病キャンペーン」により、精神科へ通院する患者の増加により抗うつ薬売り上げが急増、それと並行して睡眠薬・抗不安薬の売り上げも増加します。ベンゾジアゼピン系薬の危険性については当時から20年も前からすでに認知されていたにも関わらず、多くの患者へ処方されていくことになります。
さらに、2010年3月から中高年男性をターゲットに自殺対策の一環として、内閣府から
「睡眠キャンペーン」
が打ち出されます。
これは、不眠症はうつ病や自殺へと繋がるサインの一つであり、不眠になったら精神科をはやめに受診させて予防しようと呼びかけたキャンペーンでした。
「お父さん眠れてる?」
「眠れてますか?2週間以上続く不眠は、うつのサインかもしれません。眠れないときは、お医者さんへ」
のキャッチコピーが各市町村へ啓蒙されていくことになります。
(現在令和3年時点でもみかけます。)
2010年 ラメルテオン(商品名:ロゼレム) の登場
生物の体内に存在する体内リズムを調整し睡眠に関わるホルモンを「メラトニン」といいますが、このメラトニン分泌を促すことで睡眠作用をおこす睡眠薬がラメルテオン商品名「ロゼレム」です。
ロゼレムは、ベンゾジアゼピン系のような強い副作用はないものの、睡眠効果は弱いため睡眠が浅く、夢をよくみたり、昼間も眠たいといった症状がでやすい傾向にあるようです。
翌朝まで睡眠効果が続くことは少ないと考えられてきましたが、ロゼレムを飲んだ翌朝でも眠気が取れず仕事の支障がでやすいといった点や、自動車を運転すると運転技能が落ちて車線をはみ出す回数が増え居眠り運転の原因になりやすいといった問題もあります。
2014年 スポレキサント(商品名:ベルソムラ)
オレキシンとは、視床下部から分泌される覚醒維持に関わるペプチドホルモンのこと。スポレキサント商品名「ベルソムラ」はスボレキサントがオレキシンの受容体に作用するのをブロックすることで覚醒状態を弱め睡眠作用を促す睡眠薬です。
このベルソムラも副作用が少ないと思われていますが、内服した翌日に自動車を運転すると、車線をはみ出しやすいことが報告されています。しかも、飲酒運転の指標であるアルコール血中濃度0.05%でのフラツキよりもひどい運転をする人が、2~3割もいるというデータもでているようです。
参考:ファーマスタイルWEB
睡眠薬・抗不安薬も睡眠キャンペーンで上昇傾向にありましたが、2012年度の診療報酬改定により減少傾向に転じています。ベンゾ系の処方もロゼレム、ベルソムラへと置き換えるところも見られているようですが、現在、なにも知らずにベンゾジアゼピン系の薬を飲み続けている日本人は、約730万人いるとされています。大きく報道はされていませんが、離脱症状などの「ベンゾジアゼピン被害者」も多く存在しており、使用する場合は必要最低限の使用にしておきましょう。
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